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二胡まるごと談義
| 06.3.6 閔恵芬を見つけてしまった 二胡大家といえば、現役ではやはり閔恵芬でしょう。日本にも何度か演奏に来ていますが、やはり人気度は高く、また彼女が演奏するなら少々テンポがずれようが弓の動きがどうであろうが関係ないという雰囲気です。彼女がかもし出す音楽家としてのエネルギーに少しでも触れることができるのなら文句はないというところでしょう。 幾度か病気をしましたが最近はそこそこ体調もよさそうで、いろいろな活動の話を聞きます。と思っていたらあるところで閔恵芬を見かけました。中国・上海で発行されている新聞「新民晩報」の1面記事の中で写真に写っているではありませんか。しかも二胡を背中に担いでいます。どこかの演奏に出かけるのかとよく読むと、今中国で開かれている全国政治協商会議の委員として、上海から北京へ赴くという記事なのです。 中国には政治的に大きな全国会議としては3つあります。一番大きいのはもちろん中国共産党大会ですね。次に日本の国会に相当する全国人民代表大会。そして3つ目が全国政治協商会議です。
政治協商会議というのは中国独特の制度で、「各民族、各党派、社会各界、無党派人士の間の団結と協力を強化し、社会主義建設事業の発展を推進するため、国は重要な政策決定を行う前に、各方面の代表的人物と十分に協議する」ものと規定されています。まあ簡単にいえば中国共産党の優位性と絶対指導はありつつ、民主的監督をするために在野の各党派や団体の意見を充分に聞くということです。 まあこれを民主制の発露と見るのか、共産党1党独裁を隠すための形式だけと見るのかは意見が分かれるところですが、いずれにしても音楽界代表(だと思いますが)として閔恵芬が選ばれているのは確かなようです。 写真で見る限り元気な様子で北京に向かっていますが、果たして会議ではどんな意見を述べるのでしょうか。音楽界代表とはいえ政治的な立場もありますから、社会的な課題に対する発言が中心になるでしょう。ただいずれにしても、人寄せパンダみたいに政府に利用されようがされまいが、日本のファンは元気な姿を見ることに少し安心はしたことだと思います。 |
| 05.6.20王永徳・現場音楽会CD この欄ではなく「音楽茶話」のページで紹介したんですが、今年1月に上海で行なわれた、上海音楽学院・王永徳教授の38年の成果を現した師弟音楽会のCDが中国で出ていました。要するにライブのCD化ですが、パンフレットにあったように王永徳とそのかつての生徒の演奏がそのまま録音されています。 伴奏には上海楊浦区少年宮民楽団に加え、カナダ・トロントロイヤル音楽学院管弦楽団も出演しています。メンバーの豪華さはもちろんですが、このCDを買ってみて思ったのはやはり民族音楽の商業化のスピードが速くなっているということですね。 CD屋さん(というよりは書店の音楽・映像売り場)で出ている民族音楽関係のCDやDVDの数や種類はここ数年で一挙に増えていますね。著名な演奏家のCDはもちろん、民楽伝統曲集として過去の出回った演奏曲を再編集したもの、イージーリスニング風にキーボードなどの伴奏を主に民族楽器を重ねたものや、ポピュラー曲を民族楽器で弾いたCDなど多種多様です。
それに女子十二楽坊のように国際的な舞台を目指すグループのCDも加わります。かつてのように外国人が中国民族音楽が珍しいということで買っていくということではなく、これだけの種類が出るということは国内市場のことを考えてのことでしょうし、その意味では採算が取れているのかちょっと心配はしてしまいますね。 子供に教える楽器といえばやはりピアノとバイオリンというのが普通で、少年宮以外では日本のように「二胡教室」を開いて一般のサラリーマンやOLに教えるというシステムがない中国ですから実際のどのような人が買うのか知りたいところです。 趣味の範囲が違うということなんでしょうか。ただいずれにしても中国民族音楽を聴きたいと考える日本人にとっては選択の幅が広がったということですね。すごいプロの演奏を聞くというより雰囲気を味わいたいという人がこれからは当然増えるでしょうし、それには今は最適かもしれません。 |
| 05.4.28 二胡楽譜いろいろ 二胡を学ぶ人が増えるとともに、楽譜を探す人が増えてきました。基本的には中国で出版している教本や楽曲集を見て練習に必要な曲を探すことが多かったのですが、確かに出版の数も増えてきましたね。 かつては緑色の表紙の「全国二胡(業余)考級作品集」(人民音楽出版社)が唯一の、と言っていいほどの教本でした。各調や運弓、換弦、ポジション指練習など練習曲も豊富で、田園春色の1級に始まって10級までの楽曲を網羅したものです。編集委員には蒋巽風や周耀昆、趙寒陽、王宜勤などよく知られた名前が出ていました。 経済の発達と生活の安定、それに国際的な音楽交流があったからでしょうか、ここ7〜8年の間にこれらの楽譜集が一挙に、それも各地の出版社から出されました。王永徳・編の「中国二胡考級曲集」(上海音楽出版社)は、日本の二胡愛好者にもよく使われていると思います。 実は今回友人を介して届いたのが「二胡(中胡、高胡)曲譜」(人民音楽出版社)です。特に新しい出版でもなくて、2000年2月が第1版で、いわゆる中国民族器楽体系の二胡編として編集されたものです。笛、笙、琵琶、古筝、中阮、揚琴など楽器ごとに15分冊になっているもので、中央音楽学院民楽系の協力でできたものです。
実は中胡や高胡の独奏曲も載っている楽曲集が以前からほしかったもので、それがじつはこの本だったわけです。編集委員には、厳吉敏や于紅梅といった若手の演奏者も入っています。伝統曲はもちろん、内外のバイオリン曲を二胡に合わせて改編した曲もあります。そして草原上などの中胡の独奏曲、瑶山雨などの高胡独奏曲もあります。 中国の民族音楽界も女子十二楽坊に見られるように市場化の中でその演奏形態や曲調も変化せざるえず、そのなかでもう一度20世紀に現れた二胡曲を(体系の中では民族楽曲全体と言うことになりますが)取り揃え、いわゆる伝統音楽文化として整理して残していこうという意図もあったのかもしれません。いまさらですが音楽も進歩と変化の波からは無縁ではいられないということです。 最近日本では日本に滞在している中国人の音楽家や日本人で二胡を学んだ人による教則本も多く出るようになりました。これはいいことですね。二胡を学ぶ上で日本人が持つ弱点などをうまくフォローする教え方はやはり日本にいないとわかりませんから、これらの本をうまく利用することでまたあらたな愛好者も増えるでしょう。 何より自分達に適した演奏スタイルを確立する上では、これらの多様な教則本を試すのもいいことだと思います。中国音楽の本場に教えを請いつつ、変化のある演奏をめざす。曲集のチェックはそのためにもまめにすることが必要でしょうね。 |
| 05.1.18 「二泉映月」の独奏楽器は何が適切?そのA 二泉琴について前回は黄安源が厳しい見方をしているというのを紹介しましたが、もちろんこの二泉琴自体がダメといっているのではありません。雑誌・人民音楽に載せた彼の文章によると、「1993年マカオ芸術祭で、私と息子の晨達が莫凡先生の双胡協奏曲《古道随想》を演奏するときにこの二泉琴を使ったし、2003年6月に映画《天地英雄》の音楽を担当するときにも使った」とのことです。 阿炳が弾いた二泉映月は残した他の録音曲(二胡曲−「寒春風曲」、「聴松」、琵琶曲−「龍船」、「昭君出塞」、「大浪淘沙」)とともに、現在では龍音レーベルで復刻されています。いま聞いてみると確かに録音は古く聞き取りにくい部分もありますが、やはりいい曲ですね。本人が弾いているということがそう意識させるのかもしれませんが。 さて、ではなぜ二泉琴は中胡の音色に近いように作られたのでしょうか。阿炳の録音のときの音高に近づけようとした(空弦g−d)、新しい楽器を作ることで民族音楽界の大きな成果になるようにした、阿炳の精神性を強調しようと重厚な音色を出そうとした、など当時の政治的な背景を含めたいくつかの原因を黄安源は示しています。 阿炳が盲目でありまた社会の底辺で辛苦をなめたという経歴を持っていることが、民族音楽の中で民族の精神性や政治性が特に彼と結びつけて強調される傾向にあったのかもしれません。ですから黄安源も「これは演奏者が理解するところの楽曲の内容と曲が持っている情感の処理によるもので、阿炳の人物形象と性格を取り合わせた“二泉琴”の音色を選ぶこととは無関係である。両者の関係は逆にしてはならないもので、私は阿炳本人は低くて暗く寂しく悲壮な面持ちの音色を持つ二泉琴で、二泉映月の美しい景色を表現することには必ずしも賛成しないと信じるものである」と述べています。 またこうも書いています。「何年か前一度だけ偶然に2本の千斤を使った二胡(空弦a−e)で二泉映月を演奏した。演奏中に私は突然このような音こそが二泉映月の音ではないのかと思い当たり、何かを得たような興奮を覚えたことがある」。「プロ奏者になった以上音を追い求めるのが生涯の仕事と考えており、それゆえに大胆に提案するものである。二泉映月独奏楽器は二胡の規格と音色を前提にしなければならないということで、蒋風之先生や孫文明先生が用いた低音高と千斤の方法を用いること−すなわち真の低調弦二胡を用いること−としたい」。 やはりどうも二泉琴は歩が悪いようです。二胡曲は二胡をつかってこそその曲が持つ味わいを出すことが出来るということでしょうか。音つまり音色にこだわる音楽家の意識がよく表れているのでしょう。専用の二泉琴を用いずとも、通常の二胡の調弦から3度や4度あるいは5度低くして、さまざまに二泉映月は弾かれています。 名曲というだけではなくやはり「阿炳の曲」ということがこれほど人をひきつけるのでしょう。黄安源の提案もやはりなるほどと納得させられるものがあります。 |
| 04.11.30 「二泉映月」の独奏楽器は何が適切?その@ 二泉映月と聞くと二胡を学んでいる人にはいろいろな思いが浮かぶと思います。阿炳の生涯を思う人がいれば、「二胡考級曲集」の10級だから難しい曲なんだろうなとか、やっぱり一度はちゃんと弾いてみたいな、などなど。確かに二泉映月には人をひきつける独特の雰囲気がありますね。中国・無錫市の「天下第二泉」を訪れればますますその思いを強くするかもしれません。 さてそれで二泉映月にかかわる独奏楽器なんですが、中国の雑誌・人民音楽に黄安源の文章が載っていました(04年3月号で少し古いんですが、久しぶりに見なおしたもので、すみません)。黄安源は有名な胡琴演奏家で、現在の肩書きには香港中楽団団長とあります。重厚な演奏をする人で、CDを聞いたりあるいは直接演奏を聴かれた方もいるでしょう。その黄安源が、二泉琴(二泉映月を専門に弾く二胡としてつくられたもの)について、自説を展開しているのです。 つまり「二泉映月は華彦鈞(阿炳)が残してくれた貴重な音楽遺産であるが、どの規格と音高の二胡でこの曲を演奏するのが適当なのか、どんな音色がこの曲を性格に表現できるのか、さらにこの独奏楽器の名称は果たして適当なのか、と、この問題について私はかなり悩んできた」とし、「二泉映月は二胡の独奏曲であるが、二泉琴の出す音は二胡の音色というよりは中胡の音色に近い。このことがこの曲の性質を変え、客観的に名称が合致しておらず、聴衆を混乱させる結果となっている」とまず結論を出しています。
二胡に限らず中国楽器はさまざまな変化を遂げています。ですから形態の変化に伴って音色なども変わるわけですが、それについては黄安源はこう指摘しています。 「楽器は音色が変わればそれは性質が変わったことを意味する。中国の民族弓弦楽器は種類が多く、形と音高の区別以外にさらに重要な要素はその何者にも変えがたい音色である。二胡と中胡は性格の差異があり、音色の差が大きい胡琴類の楽器であるので、両者を混同することは出来ない。二泉映月は二胡独奏曲なので、どんな二胡を用いようと、どんな弦でどのように調弦しようと、中胡あるいは中胡に近い音色を出すことなく、二胡の音色を保っておかなければならない」。 つまり彼にとっては二泉琴を使って二泉映月を演奏するのは適していないし、また曲が求めているところのものでもないということのようです。 (この項続く) |
| 04.5.26 「蒋風之―劉天華の直弟子・・そのA」 蒋風之は江蘇省・太湖のほとり宜興県に生まれましたが、江蘇省はもともと民間音楽が盛んな地方で、そんなところに影響を受けていろんな楽器を触り始めたということです。結局音楽の道を志すことになり19歳で上海の国立音楽専門学校に入学します。そこで朱行青に琵琶を師事し、また二胡やピアノを学びます。 息子の蒋青の「わが父・蒋風之」という文章によると、蒋風之は音楽学校当局の運営方法に怒り抗議の活動を行って退学させられてしまいます。それで前々からうわさを聞いていた劉天華に学ぼうと北京に行くことを決めました。旅の途中蒋風之が二胡をもっているので話かけてきた青年から劉天華の住所を教えてもらって、直接たずねることにします。しかし熱意は十分にあったとしても、初めて向かう北京でそれも名前だけを聞いていた相手の家をすぐ訪ねてしまうというこの行動力。やはり何かが違いますね。見習わなければなりませんね。
でやはり縁があったのでしょう。劉天華にも一目で気に入られ、北平(当時の北京の名前)大学芸術学院音楽学部を紹介されあらためて音楽学習の道を歩むことになります。劉天華のじきじきの指導もあり、蒋風之もその才能を伸ばします。毎日毎日、二胡を弾いた後はピアノ、ピアノが終わったらバイオリンと時間がいくらあっても足らないくらい練習したそうです。 そんなこんなで、劉・蒋の師弟関係はますます深まります。1931年のある夜、蒋風之に劉天華からすぐ来いとの連絡が入ります。すぐ行くと、目の前に3枚のレコード(というか当時のレコードを作る前の蝋盤)があり、それぞれ劉天華が《病中吟》と《空山鳥語》を録音しており、どれがいいのかということを相談したかったのだという。2人で何回となく聞き比べ、ついに1枚を選ぶことになります。それが出版されたレコードです。 このように2人はまさに一心同体のように音楽の道を歩み、次世代に受け継ぐ新たな中国民族音楽・二胡音楽を作っていくようになります。 今回この話を読んだときに印象に残った部分があります。蒋風之が彼独特の音楽風格を持ったのは、音楽のほかにさまざまな趣味や愛好があったことです。もちろん京劇など音楽に関係のあるものがあるのは当然ですが、そのほかにスポーツを見たり将棋をしたり、雑技を見るのも気に入っていたそうです。 いわく、「人間の生活には多くの趣味を持つというのが必要なんだ。頭の中に多くのことが入っていれば、想像力と芸術創造力がゆたかになる」。やはり言う人が違うと、真実味も違ってきます。音楽に集中するとともに、同時に社会のいろいろな事柄にも頭と体を動かせる、音楽家のあるべき姿を提起しているかもしれません。 |
| 04.4.28 「蒋風之―劉天華の直弟子・・その@」 二胡だけではないんですが中国音楽を学ぶ人にとって劉天華という名には特別な響きがあります。多くの二胡曲を作曲したというだけではなく、それまで伴奏楽器として地位の低かった二胡という楽器そのものを独奏楽器の地位に押し上げ、また音楽学校でもピアノやバイオリンと同じように学ぶ対象の位置に確立した、という功績があります。 1908年生まれ(〜1986年)の蒋風之は劉天華の一番の弟子といわれています。中国で発行されている雑誌「人民音楽」04年1月号に、その蒋風之の息子の蒋青の書いた「わが父・蒋風之」という文章が載っていました。蒋青は元中国音楽学院の二胡教授で、現在はアメリカのロサンゼルスに住んでいますが、彼の書いた父の思い出の文章です。 蒋青自身も父の影響を受けて音楽の道に入り、ピアノやバイオリンを学んだあと二胡に入ったそうです。その時のエピソードで、蒋風之が息子に始めて教えたのが民間楽曲の「花歓楽」で、蒋青はバイオリンの基礎があったので大して困難も感じずうまく演奏できたのでこういったそうです。「この曲は何の問題もないよ。ちょっと弾いたらもうできた」。そうすると蒋風之が、うまく演奏できたという基準は何かな、と聞いたそうです。 「音が正しくリズムが正確で、技術が水準に達しているということではないんですか」と答えたに対して、蒋風之は笑って言いました。「技術というものはただ音楽を支えているに過ぎない。学習する時はまず技術上の難点を克服するのは当然だが、楽曲の内容、風格及び表現内容、曲のあらわす境地を表現する芸術手段などを粗略にしてはいけない。これらがうまく表現できて初めて一つの曲を学んだというのだ」。 この文章にははこういった蒋風之の音楽芸術に関する日常の言葉がよく出てきます。たとえば、それ以降も父は息子にはよくこう言っていたそうです。「世界には3種類の演奏家がいるといえる。第1は舞台で演奏したら聴衆が心配するような演奏家だ。つまり技術が水準に達していないということだ。2番目は技術的には超越しているけれど、表現が平凡で、聴衆を感動させられない人。それでは3種類目の演奏家とは?聴衆を引き込む人だ。豊富な芸術言語、卓越した技術を用い、曲の持つ情感と境地を表現し、聴衆に優れた芸術的感動を与え啓発もする演奏家をいう。そんな演奏家になりたいとは思わないかね」。 普通よくある言葉だとしても、一流の芸術家(あるいは自らが尊敬できる人)が言うと意味合いやその重さがずいぶん違ってきますね。いわゆる現代二胡音楽の第1世代を代表する劉天華と蒋風之、師弟の関係にありながらその親密度は互いの才能を見抜くことで大いに増していったそうです。 (この項続く) |