学校の試験と通知簿
教育改革国民会議の報告書が発表され、新聞にも大きく報道され、いろんな人のコメントも
載っていた。
その中に、「一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する」との項目があった。
私も、個人差があるのだから、一人一人の能力に合わせた教育をすること(パソコンの利用など)を言ってきたので、多いに賛成である。

それに関連して、学校内の試験と通知簿について考えることを書いてみたい。

今回の報告書には見当たらないが、通知簿の記載を相対評価(5段階評価)から絶対評価に替える
方向にするよう、先日、新聞に載っていたように思うが、是非そうしてほしい。
学校内の試験の目的は、各個人が教えられた学科の内容を理解したかどうかを確認するために
行なわれるもので、多くの生徒の理解が不足であれば、先生の教え方に問題がなかったかどうかの
反省の意味も含んでいるはずである。
その点で入学試験などの選抜試験とは、全く違うはずである。

品質管理、QCサークルの進め方の基本手法に、P(プラン)D(ドウ)C(チェック)A(アクション)のサイクルを廻すのがある。
P:教育計画をたて、D:教育をし、C:試験をして教育の結果を確認し、A:次に何をすべきかを
決めることに対応するだろう。

Cが学校内の試験の目的なはずで、試験の結果、一人一人が何処を間違えていたかを確認して、その
個人個人にあった指導をしてやり、また、大勢の生徒が理解していなければ、先生の教え方にも
分かりにくいところがあったと考えて、教え方を工夫をするといったアクションにつなげるべき
ものである。

通知簿の目的は各学期の終わりに、上記のC(チェック)の結果を個人ごとに知らせるためであり、
各人がその学期に学べきことを何処まで達成しているかの絶対評価で表示すべきものである。
他人と比較して、5は何%4は何%と枠を決めて割り当てて評価するのは、個人を見ない教育を
していることを示している。

此のように、個人に応じた教育をして、個人として評価していけば、自然に飛び級で進学する者も
いれば、一年遅れで勉強している者もいるのが普通のこととして認識されるようになる。

一番大切なことは、勉強する努力をすることは必要ではあるが、学校の勉強が出来ることと人間の
価値は関係ないことを、世間、特に親が良く認識して子供を育てることである。大学などでていなく
ても、立派な人は沢山います。
前にも書いたが長い人生で一年や二年の差はたいしたことでは無いし、早く学校を出たから幸せか
どうかは、人生を終わるまで何とも言えないだろう。


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