延命治療と尊厳死
今年、人工呼吸器を外して延命治療を打切って患者が死亡したことが報道された
ことから、延命治療の在り方に付いて多くの意見がかわされていました。私は
先月脳死の関して書きましたが、その中で臓器提供や延命治療についての意思
表示を健康保険証書に表示するようにしたら良いと提案しました。
今回は、前回と関連して延命治療と尊厳死について思うことを書いてみます。

私の周りの人に聞いた範囲では、チューブを沢山付けて、無理矢理に生かされて
いるような延命治療は嫌だという人ばかりで、私もそんな治療を受けての延命は
希望せず、人間らしい尊厳死の方をを選ぶ一人です。
私の義父は104才で亡くなりましたが、入院の最後の頃は食事を受け付けない
状況になっていました。病院から喉に孔をあけて栄養を入れるようにするかどう
かという提案もされていました。家族の中でも、そこまでのことを本人が望んで
いるかどうかで意見が別れていましたが、結論が出る前に亡くなりました。
当時は本人の意思確認が出来る状況ではなかったので家族の意見によって決める
状況になっていましたが、私はプライドの高かった義父がそんな治療は希望して
いなかったのでは無いかと思っています。
昔であれば、食事を受け付けなくなれば自然に衰弱していき、家族も覚悟をする
時間が有り、家族に見守られて火が静かに消えるように自然な死を迎えたのでは
ないかと思います。

一度付けた人工呼吸器を外すと殺人に問われる可能性があるといった記事を読み
それなら、最初から付けなければ良いのかとなると議論が飛躍しすぎると思う。
一度取り付けたものは状況によっては外せるという原則をはっきりすべきです。
医師としてはまず患者を治療する努力をするのが当然であって、まずは人工呼吸器
などを取り付けて治療を続けて経過を確認するでしょう。しかし、現在の医療水準
ではどうにも回復の見込みがなくなった時点では、本人が延命治療を望んでいたか
どうかで取り外す判断をすることを許すべきと思います。
一度付けたら取り外せないとなれば、治癒の見込みが少ない患者には取り付けて
治療の努力をしてみようという気を起こさせないようになるでしょう。

脳死の判断の時にも書きましたが、医療事故の隠ぺいなどの報道があって世間には
医師に対しての不信感があるため、回復の見込みがあるかどうかの判断には複数の
医師の意見が必要で、その判断の決定経過に透明性が保証されていることが必要です。
それを踏まえて、本人または家族に延命器具の取り外しについての合意をとると
今回のような問題は起らなかったでしょう。
我々は報道でしか知ることが出来ませんが、今回の場合も、家族の同意があったとか
無かったとかの報道によって騒ぎがより大きくなったように思われます。報道する
人はセンセイショナルに記事を書く前に、家族全員にもう少し確認してから報道
すべきだったでしょう。ただ今回のことから、多くの議論がなされたことは良かったと
思います。

人は必ず死を迎えるので、多くの人がこんな問題に出くわすことになり、その度に
本人の意思はどうだったかという確認が必要になります。
日本尊厳死協会があり、そこに加入すれば延命治療の拒否、尊厳死の選択についての
意思表示の書類が出来ますが、普通の人は元気な間にそこまでの手間をかけません。
また、自分で書くとしても、どんな風に書けばよいか書式が分からないでしょう。
私自身もまだ死ぬのには時間があるように思っているので、尊厳死を選ぶつもり
ですが、ついつい先延ばしで、まだ書類を作る所までいっていないのが実状です。
それで先に書いたように健康保険証書に意思表示が出来る欄を作って、そこに丸を
付けるようにすれば、病院側が保険証書をみれば当人の意思がすぐ分かり医師も
迷わずに治療方針を決められるのでよいだろうと提案したのです。また、保険証書の
更新の度に意思が変わっていないかの確認も出来ます。
このような選択はどんな人も遭遇する確率の高いことであり、ドナーカードを作る
より安い経費で全国民を対象に、各人の脳死による臓器移植や尊厳死に対する意思
表示を明らかに出来るはずです。日本の医療行政として、こんな意思表示の方法を
検討してもよいのではないかと思います。

一方、無意味な延命治療をしない代わりに、終末期の患者の苦しみに対して、緩和
ケアをするホスピスを充実することが大切になります。
私は医師の判断を尊重して、終末期になれば延命治療は望まず、ホスピスの方を選び
たいと思っています。


ホームページに戻る                      2006.5.26.