四高桜に想う
        
                 写真は田口さん撮影

琵琶湖の西岸高島町の萩の浜ぞいを通る湖周道路に四高桜と呼ばれている桜並木が
あります。
昭和16年4月6日に金沢にあった旧制第四高等学校、通称四高(しこう)の漕艇部員が
ボートの漕艇訓練中突風に見舞われ、高島町沖で転覆し、11名の貴い命が失われました。
翌17年、一周忌の法要が営まれ、追悼のため約千本の桜が同級生や関係者によって
植樹されたものです。上掲写真の四高桜と銘した追悼碑も同時に建立されました。
遭難当時、最後の遺体が収容された66日後まで連日地元高島町の住民の方々の捜査協力が
あり、植樹された四高桜の保全についてもお世話になり、追悼碑の廻りも綺麗に手入れ
されています。

この四高桜は寿命の短いソメイヨシノなので、植樹以来60年以上経過して老木になった
のにくわえ、最近の交通状況から、狭い道での多数の自動車の走行、大形車による枝の
損傷などからも枯死するものが多くなっていました。また道路の拡張、付け替えなどのため、
一部伐採されたり移植されたものもあり、昭和60年に四高関係者により「琵琶湖四高桜
保存会」が結成され若木の補植もされてきましたが、往年の桜並木の様相からは寂しい
ものになってきていました。
さらに道路を拡張する計画があり、現在の桜並木は全て計画の範囲に掛かることになり、
長年、春に多くの人々の目を楽しませてきた桜並木が無くなるのを惜しみ、四高桜の歴史を
守ろうと、昨年、高島町に「四高桜を守り育てる会」が作られ、拡幅される道路に沿って
新しい四高桜の並木を作り、湖岸の公園にも植樹する計画がなされ、そのための苗木作りが
始められていました。
今年もそのための苗木作りの作業が行われ、その作業を手伝うボランティアを募集している
との情報を同窓生から連絡してもらいましたので、私も元四高生として是非参加したいと思い
3月6日の「四高桜を守り育てる会」の行事に参加し苗木作りをしてきました。

ソメイヨシノはオオシマザクラとエドヒガンからの雑種ではないかと考えられているよう
ですが、いずれにせよ、種が出来ないので、接ぎ木の手法で苗木を作る必要があります。
昨年はヒガンザクラを台木にして、50鉢の苗木を作ったが、その内半分しか育たなかった
とのことです。今年は、より接ぎ木が育ち易いヤマザクラが台木に選ばれました。
穂木としては、往時の追悼の想いが込められた四高桜を保存する趣旨からも、現存する四高桜
から採ってきた枝が使われて、接ぎ木がされました。
今年は60鉢分が準備されていたが、地元の小学生をはじめ、ボランティアの参加者も
多く、急遽70鉢に増やして苗木作りが行われました。専門家の指導を受けながら、私も
一本の接ぎ木をしましたが、なんとか育ってくれるように念じています。
来年も四高桜の苗木を作る行事が行われるとのことであり、また参加したいと思っています。
これらの苗木はボランティアの方々が預かって世話をし、2年後に新しい道路が完成したら、
その道路沿いに植樹されることになっています。

作業に参加する前に、同窓生参加者の一部の者が追悼碑の前に集まり、追悼歌を捧げました。
その時撮ったのが上掲の写真です。追悼歌の四番の歌詞(下記)を含む追悼文が刻まれた
石板も碑の前横にあります。

          沖の島に春の陽照りて
           ほのぼのとかすみ渡れり
            岸近くさまよい行きて砂にぎり  
             砂にぎりしめ 夕波に
              いまは亡き友を偲びぬ

この追悼歌は四高生の作で一般の人には歌われていませんが、当時この遭難を悼む「琵琶湖
哀歌」が東海林太郎氏によって歌われ、全国的にも愛唱されました。

四高生は昭和23年入学の我々が最後で(24年に四高1年終了で打切られ、新制大学を受験)
年令も73〜74才になっており、あと30年もしたら四高に在籍した者はいなくなる運命に
あります。そんな状況の中で、高島町の方々に四高桜をこのように守り育てて頂き、上掲
写真の追悼碑の廻りも綺麗に手入れされており、四高桜が毎年咲き続けられることを本当に
嬉しく思い、地元の方々への感謝の気持ちで一杯になって帰ってきました。

なお、四高桜と追悼碑はJR近江高島駅北東、約1キロの湖周道路沿いと公園内にあります。


ホームページに戻る                            2004.3.20.