閾(しき)という字を広辞林で見ると、しきみの略、しきい(古)のこととあった。
閾値は英語ではthreshold valueになるようである。
また、識閾(しきいき)という言葉ものっていて、ある意識作用が起こるのと消える
のとの境目とあった。どうも、閾という字は‘いき’とも‘しき’とも読めるようである。
おおまかに考えると、閾値は何かが起こるか起こらないかの境目の量と理解すればよいようである。
先に、量害ということで書いたが、害がおこるかどうかの境目が閾値なのだと納得した。
山で雉撃ちをしても、その量が自然浄化作用の範囲内であれば量害にならないので、その
限界が閾値になる。
閾値の考え方ははもっと広く、使えるようである。
勉強で何かを覚えるとき、1回ぐらい読んで覚えられなくても、10回20回と読めば
覚えられるだろう。人によって回数は異なるが、それがその人にとっての閾値になる。
健康に良いことでも、ある程度の量をこなさないと効果がないようで、歩くにしても
1日1万歩ぐらいは歩く必要があるだろう。これも人によって異なるだろうが、それが
その人の閾値になる。
また、最近若い人がよく‘きれる’というが、我慢できる閾値が低くちょっとした事にでも
感情の抑制がきかなくなっている。
罪を犯さないために、刑罰を重くするのも閾値を大きくして抑制しようとするものであり、
悪い事が起こらないようにするには、閾値を高くするのがよいだろう。
一方、良い事を進めるには、閾値は低いほうがよいことになる。
ボランティア活動をするにも、閾値を低くして、しやすい環境作りをしてやることも必要で
あり、一方、そのような活動に踏み切るように、意識を高めることも大事になる。
昔から、敷居が高いという言葉があるが、閾値が高くて進みにくいことを表している。
敷居が高くても、行った先に魅力があれば踏み越えて行くだろうし、行ってもたいした
ことがないと行かないだろう。
ある人が不愉快に感じるかどうかの閾値はずいぶん違っているであろう。
いずれにせよ、いろんな事柄の閾値は事象により、人により、環境状況によっても変わる値で
あるので、その点もよく理解して判断する事が大事であると思う。