田んぼや小川には、めだかやどじょうが沢山いて、捕って帰って水槽で飼ったり
していましたが、今では近所の田んぼもすっかり無くなり、小川はコンクリートの
水路になって、めだかの影など見られなく成ってしまった。
我が家の近くでは宅地化が里山消滅の主原因であるが、地方でも燃料が使用に
便利なプロパンガスになって、かまどで薪を燃やさないので、里山の保全に役立っ
ていた柴刈りなどをしなくなり、人が里山に入らなくなって、蔓性の植物が繁茂し、
ますます人の入れない場所になってしまったなどが原因でしょう。
私の家から小1時間歩けば緑地公園があるが、やはり公園と里山とは趣が違って
いるのは免れません。横浜市の港北ニュ−タウンの造成時には里山の状態を残す
努力をされ、その後も里山状態を保つ努力を地域の方々のがされていることを
記事で読みましたが、一般的には、生活に直結していないと、里山の保全は難しい
問題でしょう。
最近腰痛のリハビリのためもあり、毎日近所を1時間余り歩いていますが、その
程度の距離の範囲では、探して歩いても里山の雰囲気を味わえるところが無くなっ
てしまったのが残念である。開発が進んだ住宅地に住んで、里山まで願うのは贅沢な
願いだと思ってはいますが、現在では、里山感を味わえて自然と触れあう為うには、
そのつもりになって時間をとり、ハイキングにでも出かけねばならない。
何年か前には、庭でも多くのトンボを見かけたていたが、最近ではほとんど見かけ
なくなったように思う。
先に書いた棚田と比較すると、棚田は山の傾斜を削ったりして人工的に作られた
景観での美しさであるが、里山は自然の姿を残したまま、その生態が保たれる範囲
内で柴刈りなど人間の生活に必要な資源を頂いてきて共存していた点で、より人の
心を和ませる存在であると感じています。
今、大阪駅北側の再開発で一部を緑地にするように計画されているようですが、
これを普通に近代的な公園にするのではなく、難しい点が多いでしょうが、里山と
して考えてほしいものです。