老人イヤー
最近、ドッグイヤーという言葉をチョクチョク見聞きするようである。
犬の一生は人間が成人するぐらいの年月で終わってしまい、同じ一年でも
犬と人間では違っており、時間の経過が早く進んでいくことの比喩に用いられて
いるようである。
この言葉を聞きながら思ったのは、最近、自分の時間が過ぎるのが、早くなったと
感じていることである。

子供の頃に広く感じたり、遠いところと思っていた所が、大人になってみると
たいして広くなく、また、思ったより近かったりするのは、よく経験したことで
ある。

人間は、自分の尺度で物事を判断しているので、このような結果になるのだろう。
最近、時間が早く過ぎると感じるのは、自分が歳をとってきて、動作が少しずつ
鈍くなったことが原因ではないかと気がついた。

今まで10分で歩いていたところを、13分かかり、本一冊を読むのに、今までより
長い時間がかかり、パソコンのマニュアルを読んで理解するのにも若い時の何倍かの
時間がかかっていると、一日あたりに処理していることの量がすくなくなっているので
ある。
したがって、大した事もしていないのに、一日、一週間、一年が過ぎていき、時間が
早く過ぎていくと思うのだろう。
そういう意味でドッグイヤーならぬ、老人イヤーになったのである。

このように考えると、子供には子供イヤーがあり、それぞれ年令、経験に応じたイヤーが
あるようである。

時間の経過についての感じ方で書いたが、其の他のことについても、人の判断基準は
自分の尺度でしてしまいがちであり、時には、他人の尺度で考えてみることが必要で
あると考える。

最近また、世界基準という言葉で、評論されていることが多いが、評価基準も、一つで
なく、多くの基準を認めたうえで、仲良くやっていく方策を探ってほしいものだ。


ホームページに戻る                        2001.10.27