金木犀と匂い
もうその季節も終わりに近いが、10月になって駅から家までの20分余りの
道を歩いていていると金木犀の香りが漂ってきて秋が来たなとしみじみ感じ
られていた。金木犀は地味な木であり、普段は気に留めていなかったのが、その
匂いを嗅いでああ此所にも金木犀があったのだと再認識していた。道筋の10軒
以上の家の庭に金木犀があり、道を歩きながら香を楽しませてもらっていた。

もう一つ、道を歩いていて、その匂いが強く春の季節が来た事をを感じさせるのが
沈丁花である。梅の花の匂いも春の到来を告げるものですが、家の近所に梅があっ
てもその匂いを強く感じることは少ない。
歳をとって鼻の感覚が鈍くなってきていることも、金木犀や沈丁花のような強い
香にしか感じなくなっている原因のように思う。

花の匂いの本来の機能は虫を呼び集めて花粉を運ばせるためにあるのだろうが
人間にも心地よいものが多い。
生け花にして匂いが強いものでは百合や菊やバラの花などを思い付く。

そんな花の匂いから、他の匂いに転ずると、まず食べ物の匂いが思い浮かべられる。
日本人しか好まないようですが、今の季節では松茸の香りが一番でしょう。また
夏の土用丑の日とは限りませんがウナギを焼いている匂いは、多くの日本人には
たまらないものでしょう。そんな季節には店先でウナギの蒲焼きをしている店が
多くあり、また店の換気扇からの匂いを外に吐き出して客を呼び込んでいる。
家庭では台所から漂って来るおかずの匂いは子供の心をわくわくさせるものである。
しかし、和食はあまり匂いのきついものが少なく、薄味の方が多いように思うので
香水の匂いは和食には合わないように思う。

生活のいろんな場面で嗅いだ匂いにも懐かしいものや、今昔の感を思わせるもの
などがある。
都会では、今はもうほとんど無くなったものに汲み取り式のトイレがある。
昔はそれが普通で、そんな匂いの中で生活するのが当然であり、それが一つの
生活臭であり、汲み取ったものを肥料にして米や野菜を育てて、自然界の連鎖を
形成していた。水洗式になり衛生状態は良くなったが、大形の下水処理場で処理
することで連鎖を断ち切っているのを、これで良いのかなと思ったりする。
その他の機械油や汽車の煙や新車や都会の雑踏の匂いやスポーツの汗の匂いなど
人によって色んな局面で経験した印象深い匂いを持っていて、その匂いと共に
思い出が蘇ってくるだろう。

また匂いに対して犬は人間より何倍も敏感で、警察犬としてその臭覚が利用されて
いるし、またトリュフを採取するのに豚の嗅覚を利用しているのも有名である。
臭覚は動物にとって生命の危険から身を守ったり、餌にありつくための大事な機能で
あり、多くの生物は餌の在りかなど匂いで感じとることが多いようである。
人間は臭覚が衰えてきており、生活の中での本能としての機能も薄れているように
思う。最近云われる賞味期限も、昔は年寄りが匂いを嗅いでこれは食べない方が
よいとか、まだ大丈夫だとか判断していた。

多くの生物にとって一番大切な生命の連鎖のための雄牝の出会いのためにはフェロ
モンが分泌されて、その匂いに惹かれることで出会いの機会がつくられいる。しかし
人間では臭覚が衰えたせいか、生活のなかで必要性が無くなったためか、フェロモンは
出会いのために重要な役割をしなくなっていると思う。
最近はアロマオイルといった物を使った芳香商品がよく売られている。昔の人も
香を衣服などにたき込んだりしていたが、香りが人の心に安らぎをもたらし安眠の助け
にもなっている。臭覚は「非常に原始的な感覚だ」と書いてあるのを読んだが、香りの
こんな作用も生物の進化の過程で人間の神経に刷り込まれたものかも知れない。

金木犀の匂いから連想して思い付くいろんな匂いについて書きました。最近私のホーム
ページを見た人から「遊びのページが少ないですね」と云われました。
見直してみると、この区分の話題を1年半も書いていませんでした。これは私に精神的
余裕が無かったためかなと反省し、花の匂いなども感じるような心の余裕を持ちたい
との気持からこのテーマで書いてみました。


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