言葉遣い
最近言葉遣いに絡む問題が多く起っており、また文化庁が7月に発表した
世論調査の中で、「憮然」や「檄をとばす」などが7割も本来の意味と違った
意味での使われ方がされているとの報道があったので、言葉遣いに関連して思った
ことを書いてみます。

言葉は何時の間にか違った使われ方をされていて、それが定着してしまう
ことはよくあることで、最近一番気になるのは「やばい」という表現です。
以前は恐れがあるとか危険があるとか何らか悪いことが起りそうな時に使われて
いたが、最近は美味しい、好ましいとか良い事に対する表現に使われている。
こんなふうに、まるで反対のような方向で使われると議論が噛み合わなくなって
しまう。
今月には、太田農水相の食の安全対策について「消費者、国民がやかましい」から
徹底していくと云った事が問題になったが、「やかましい」は「消費者がよく知って
いる」ということの表現の一種だとの弁明も出て来て、そのことについてもまた議論
されている。
私は「味にうるさい」「味にやかましい」といったような表現は同じような
もので、誰でもが使わないとしても、それはそれとしてあり得るようにも思うが、
本音はどうだったか、問題になったから言い訳をしているようにも聞こえる。
その他、政治家の発言に対してのあげつらいはしょっちゅう行われている。

言葉を喋る時には、つい言い慣れた言葉がでてしまうので、関西の人なら
「そんなアホな」と口に出てしまい関東の人なら「そんなバカな」と云って
しまう。アホとかバカとか同じ意味の言葉でもを関東と関西とでは受けた方の
反応は違って来る。
私の経験でも、普通に喋った言葉が、妙に皮肉を云ったようにとられたことがあり
そんな受け止め方もあるのかと、驚きました。
従って喋る時には注意せねばならないが、悪気がなくてもつい出てしまうことも
あるので、誤解が全くないように喋るのは難しい。

喋る時の失敗は上記のようにある程度同情出来るところがあるが、文章にして
発表した物については、表現がまずかったでは済まされない責任があると思う。
最近朝日新聞のコラムで鳩山前法務大臣の死刑執行命令が13人になったことに
対して「死に神」と表現したことが問題になっていた。
私もこのコラムを読んだ時に、これはいくら何でも表現がひどいと思った。
これでは法に基づいのて死刑の判決を出した裁判官に対してはどう云うのだろうか。
その後、全国犯罪被害者の会が抗議したことに対して新聞社として紙面に大きな
スペースを割いて弁明と反省を表明しています。
「死に神」という表現が犯罪被害者遺族の方々などにどのような気持ちを起こ
させるかについて思いが至りませんでしたとのことですが、喋った言葉ならまだ
しも、書いた文章なら何回も読み直すはずだろうし、印刷する前に他の社員から
これは一寸と表現としてまずいのではないかとの意見がなかったのだろうかと
不思議に思う。
新聞に記事を書いて、読む人の気持ちに思いが至りませんでしたでは、もの書きと
して失格といわれても仕方が無いのではないだろうか。
よく企業の不祥事の際にワンマン社長とか上司に対して物が言えなかったのかとの
批判がマスコミに云われるが、これを書いた論説副主幹に対して物が言えない体質が
社内にあったのではなかろうかと疑われてもしかたがない。
社内に誰も異義をいう人や議論がなかったかどうかという点に関しては弁明の記事の
中には書かれていない。

もう一点思われたのが先に女性歌手が「羊水が腐る」と発言したことにたいし何ヵ月も
歌手活動を自粛したことである。どこで誰から聞いたことを云ったかは分からないが、
一歌手が、文章で無く、失言してもこれだけの制裁を受けている。
これに対して、文章で発表したことに対して会社としてどのような処分をして、再発
防止のために何をするのか、コラムを書いた責任者が何ヵ月間謹慎したかも書か
れていなかった。一般の企業の不祥事なら、組織の問題とか責任者がどう処分された
かを追求するはずのマスコミが自分のこととなると何も書かないのは何故だろうか。
それが無い弁明では納得出来ない。

私もこのように文章を書いているが、いろんな表現に問題がないかチェックして
何回も書き直している。他人の批評をするかぎりは、今後とも言葉遣いにはもっと
気を配って行きたいと自戒している。


ホームページに戻る                   2008.8.23.