大津祭とカラクリ


今年大津祭曳山展示館に行く機会があり、展示されている曳山やVTRで
各曳山のカラクリの動きを見せて貰いました。
大津祭の曳山は13基あって、そのいずれにもいろんなカラクリ人形が載って
います。

私は不勉強でカラクリと云えば飛騨高山のカラクリ人形を思っていましたが
大津祭のカラクリの方が歴史が古く伝統のあるものだと、始めて知りました。
当初は大津の天孫(四宮)神社のお祭りで狸の面をかぶって踊ったことから
始まり、狸が腹鼓を打つあやつり屋台を担いで歩くようになり、さらに進化して
カラクリを地車につけて子供に曳かせるようになったとのことである(1635年)。
その後逐次曳山が増え1776年に月宮殿山が作られて13基にまでなっている。
それと比較すると高山の屋台にカラクリが導入されたのは1700〜1800年代で
カラクリとして残っていて演技しているものは4台だけになっているようだ。
その代わり高山の屋台のほうが新しいだけに大きくて豪華絢爛な造りになっている
ために、カラクリ付きの屋台といえば高山祭と云うようなイメージになったようだ。
また、祇園祭の山鉾巡行にもからくりが含まれているが、現在蟷螂山の1台だけで
ある。

このカラクリ人形の前にあやつり人形(人間が紐を引っ張って動きを操作する)が
あったが、それが進化し、動力(バネ、錘り、水など)を使って自動的に動かさ
れるカラクリ人形になった。日本ではヨーロッパからもたらされたカラクリ付きの
機械時計が大いに手本となったようである。
世界では約2000年前にギリシャのヘロンと云う人が自動人形を造ったとの記録が
のこっている。日本では海外から渡来した機械時計についていたカラクリから
学んで広まったようで、日本のカラクリ人形の開祖と云われる竹田近江は時計の
技術者であったそうです。彼は大阪の道頓堀で始めてカラクリ人形芝居を演じて
大評判をとっている(1662年)。
高山祭のカラクリはこの竹田近江の技術を継承したものであり、時代的には大津祭
から遅れて造られたことが分かる。
また、カラクリに関しては1796年に機巧図彙(きこうずい)と云う本が出版されており、
カラクリの具体的な機構や作り方が詳細に図解されている。(インターネットでも
見られる。また、機巧はカラクリとも読まれる)

カラクリ人形に使われた動力は古くは金属のバネ、ゼンマイなどがなく鯨のひげも
使われたようであり、錘りを巻き上げてその落下のエネルギーを使うとか水を溜めて
そのエネルギーを使うことや、操作には木製のギヤ−を力の伝達には絹糸を束ねた
紐を使うなど、当時の技術者の工夫の跡がいろいろと残っている。

以前に大学、高専などで行われているロボコン(ロボットコンテスト)について
書きましたが、今は小型のモーターや電池、さらに各種の軽量材料が手に入ることと
比較しての当時の技術者の苦労が思いやられる。

最近の電子器機は目で見てもその原理が分からないので取っ付き難いが、昔の玩具は
ゼンマイ仕掛けで、壊れたものをばらしてみると、動く仕掛けが良く分かったので
子供の頃には壊れると、それをばらして中を見るのが楽しみでもあった。
最近、子供の理科離れが憂慮されているが、カラクリ人形の動きなどは面白く、分かり
やすく理解出来てよい教材になるので学校の授業に取り入れてほしいと思う。
大津祭は春秋2回の開催でその時に行かないと曳山の巡行は見られないが、曳山
展示館は浜大津の商店街にあって、色んな資料と共に曳山が1基展示してあり、
カラクリの全部がビデオで見られるので、興味の有る方の勉強には便利である。


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