臓器移植
15才未満の子供からの臓器移植は日本では認可されていないので小さい子供は
海外に行って臓器移植を受けなければならず、またその為の費用が莫大なものに
なるため、市民のカンパを受けて海外に渡航し移植手術を受ける話がよく報道され
ている。
このことは以前から問題になっていたが、WHO(世界保健機関)が渡航移植を
規制する方針を決議する動きがあることもあり、日本国内で子供も臓器移植を
受けることを可能にするよう、臓器移植法を改正する動きが活発になってます。

以前に私も脳死と臓器移植について書きました。移植手術を受ける費用をカンパで
調達している報道は同情的には見ていましたが、海外で移植手術出来て日本では
出来ない実状を違和感をもって見ていました。
私は脳死は人の死であるとの立場に立っているので、15才未満でも脳死判定を
受けた人からの臓器移植を認めて、日本でも手術を受けられるようにすることに
賛成しています。ただし、脳死の判定が正しく行われることが前提になります。

WHOの決議がどうなるかは分かりませんが、もし海外で移植手術を受けられない
ようになった場合、みすみす助かる子供の命が救われないことになります。
多少ニュアンスは違いますが、緊急救命活動の場合のトリア−ジュがあります。
これはJR福知山線の事故や秋葉原の無差別殺傷事件などの時にも実施されたとの
ことですが、怪我人を救護の緊急度について振り分けるもので黒い札は救命不可能、
赤い札は緊急を要す、黄色の札は治療を遅らせてもよい、緑の札は緊急措置不要と
して、救急措置に順序付けをする札をつけて、より多くの人命を救うようにする
ものです。医者が十分の人数いればそんなことは必要ないのだが、実際の現場では
トリア−ジュが必要になるのが普通でしょう。
医療行為にはより多くの人命を救助することが求められているので、感情的には
全員に充分の治療行為がなされるべきだが、実状ではトリア−ジュの考え方で行動
せざるを得ないだろう。どちらの命を救うのがよいかの決断が必要になります。

臓器移植の場合でもより多くの命を救うにはどうすべきかの観点で判断されるべきで
自分の子供か孫が臓器移植でなければ助からない状況にあると想像して、目的の
為に障害になる問題点を一つずつ解決して、大多数の人に納得してもらえるうように
せねばならない。
自分の生死観を他人に押し付けて、助かる命がみすみす失われていくようなことでは
法律を作る目的に反する。そんな人は海外で移植手術を受けるためにカンパ活動を
している人の前に立ちはだかりカンパを止めさせるだけの信念があるのだろうか。

どこかのテレビの報道の中で、一人の親が「自分の子供が死んでもその臓器の一部が
他の人の命を救い、そこで長く生き続けていれば嬉しく思う」とのニュアンスで
話しておられるのを見ました。番組で一回見ただけなので多少の記憶違いはあるかも
知れないが、私もこの思いに同じです。

このところ新聞やテレビで改正法案の審議の行方について多く報道されています。
臓器移植治療を全否定する人の比率は少ないと思っていますので、あとは移植の条件に
ついての意見の相違で、脳死についての判断が一番の問題として残るでしょうが、
どうしたらより多くの命が救えるのかの判断基準で合意可能だと思います。
一人でも多くの命が海外に行かずに国内での移植手術で助かるようになることを願って
います。


ホームページに戻る                     2009.4.25.