平穏死
本屋で「平穏死」のすすめ(石飛幸三著 講談社)と題した本を見つけましたので買って
きて読みました。4年程前に私も
延命治療と尊厳死と題して書きました。その中で人が
食事を受け付けなくなれば火が静かに消えるように自然な死を迎えられるのではないか
と書きましたが、これは素人の直感的な感覚で書いたものです。上記の本で著者である
医師が特別養護老人ホームに勤務して多くの方の死を看取った経験から、口から食事を
食べられなくなった方は、最後は水だけをあたえることで安らかな死を迎えられると書いて
おられます。
また、外国での例や日本でも三宅島では昔から最後は水だけを与えることで安らかな死を
迎えさせることが行われていたことなどの実例が多く書かれています。
先に私が思ったのは、義父が104才で亡くなった時に口から食事を食べられなくなり
胃瘻(胃に孔を開け食事を注入する管)をつけて食事を取らせるかどうかの議論があった
時に,そんな事が義父の希望かどうかの疑問を感じたところににありました。
自分ならそんなことをしてまで生かしてほしくなく、この本の著者の云う「平穏死」を
選びたいと思ったからです。
秋に木の葉に栄養が行かず枯れ葉となってハラリと落ち、翌年の新しい葉に生え変わる
ように、痛みを伴わずに世代交代が行われているようなものだと思います。

唯、この問題の難しいところは本人がどう望んでいるかであって、周りの人が介護を手抜き
する為に押し付ける事ではないところにあります。
最近幼児虐待の問題が多く報道されていますが、老人虐待のようなことに結びつかないか
どうかが心配されるからです。またこの本の著者が書いておられるように、それによって
少しでも命をのばせるのに、医者としての義務を果たさない治療放棄として糾弾されない
かとの点もあります。
しかし、医者は患者の延命のために最大限の努力をすべきであるのは当然ですが、それが
当人にとって幸せであり、望まれている事かどうかも考えるべきです。
また老衰は病気でないとすると、このような看取りでは治療をしないのですから、病院は
退院を迫り、家につれて帰って家族が看取るか、老人ホームでの看取りになります。
従って医師の往診が受けられるかどうかなどの、受け入れ体勢の整備が必要になりますが、
現在の核家族化の状況や往診をして貰える医者が少ないなど、家庭が受け入れることには
現実問題として困難な点が多いので、最後の看取りを充分にして貰える老人ホームの充実と
介護者の教育が必要ではないでしょうか。この著者の居られるような施設が多くなることを
願うものです。

人は必ず死を迎えます。老衰で食事も喉を通らなくなったのを病気と考えるのか、その方の
寿命と考えて安らかに看取ってあげるのが良いのかの判断になります。
胃瘻をつけても食事を誤嚥して食物が肺に入って肺炎を起こす危険性が多いと著者が書いて
いますが、若くて将来のある方と老衰で食事が喉を通らなくなった方とを同列に扱うのは
間違っていると思います。
この判断は臓器移植の際に行われる脳死判定のように客観的な判断基準に基づいて行われ、
周りの家族の同意も必要です。その前に本人の希望も明らかである事が望ましいのは当然です。

私は先に書いたように尊厳死や、今回の表題のような平穏死を希望する一人ですが、この
様な問題では其れを悪用する人間が出てこないような体勢を整備する事も必要です。
最近テレビや新聞でも、如何に死を迎えるかといった観点からの話題が取り上げられて
いますが、この本に書かれていることを読んで、私が思っていたことが独り善がりの考え
では無かったことが分かり、このような考え方の看取りが広まるよう願って書きました。


ホームページに戻る                        2010.8.25.