学力低下
最近、大学などでの学力低下の問題を新聞、雑誌が取り上げている。
われわれの年代と比べて、受験戦争は遥かに厳しくなり、予備校に
行き、ずいぶん勉強しているはずなのに、何故そうなっているのか
理解しにくい点がある。

私なりに感じたことを書いてみる。
1:受験科目の問題
  ゆとりと称して受験科目を減らしたことの最近反省に意見が少しずつ
  出てきたようだが、先にも書いたように、大学でなにを学ぶか、すなわち、
  受験する学部によって、受験科目をもっと変えるべきである。
  医学部を受験するのに、生物が必須科目でないとか、工学部を受験する
  のに、化学と物理のどちらかで受験すればよいなどは、考え直す必要が
  ある。
  大学は学部毎に、専門家として必要な学科のレベルで受験科目をきめて
  入学者を決めるべきである。

2:ゆとりの問題
  専門家になる人とそうでない人は違うのが当り前で、マラソンの選手に
  なる人は2時間台で走る必要があり、その人にとっては3時間で走るのは
  ゆとりでも、健康のために走る素人のランナーにとっては3時間でも
  厳しく、ゆとりのレベルは5〜6時間になるかもしれない。
  勉強についても同じことで、小学校、中学、高校でそれぞれ授業内容に
  ついて行けない割合が30%、50%、70%もあると何かで読んだ記憶が
  あるが、個人差があるのだから、マラソンの例のように、ゆとりは人
  それぞれで異なって当然である。

  皆が専門家になる訳でないのだから、高校卒業の年齢で、全員が大学受験に
  必要な専門レベルの学力であることを要求することはない。
  マラソンで5時間代で走る人が、だめ人間でないように、高校卒業時の
  学力が大学受験レベルでなくても、だめ人間ではない。

  バラツキのある人間を同じように走らせることが不合理なように、バラツキの
  ある人間はその人に応じた勉強をさせるのが本当のゆとりである。

3:義務教育の考え方
  上記のように、バラツキのある人間を教育するのだから、人に応じた教育を
  すべきであり、それがゆとりであろう。
  義務教育は中学3年までのレベルの教育を国民全員に身につけさせるのが目的なら
  15年かかっても義務教育として行なうようにすべきである。
  しかし、12年間教育するまでを義務教育とするならば、人によっては12年で
  小学6年までの教育内容をきっちり身につければよい。
  一方、中学1年で中学の教科を終わり、高校レベルの教科を学んでもよいだろう。
  そのどちらの人も人間としての価値は変わらないのであり、どちらが幸せとも言えない。
  マラソンで国民全員を3時間で走るようにするのが無理と分かっていて、早く
  走れる人まで、ゆとりと称して6時間で走らせるような教育では、学力の低下が
  おこるのは当然の結果だろう。
  12年を義務教育とするならその間にその人に応じた教育をすることを真剣に
  研究すべきである。
  パソコンで教育プログラムを作ることなど、教育者が総力をあげてやれば出来る
  はずだ。一人一台のパソコンを与えて、その人の進度に合わせて先生がパソコンを
  うまく使って指導しながら教育すればよい。
  あくまでも、人間の価値は数学等が出来ることだけでは決まらないことを皆に
  分からせるように、文部省も先生もマスコミもPRし、親が他人を気にして子供を
  歪めないようにしたいものだ。

  50%も分からない生徒がいるのに、形式的に中学の教科を教えて、机の前に
  縛りつけていては、ストレスで切れるのも当然だろう。


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