鈍感と敏感
最近渡辺淳一著の「鈍感力」という本がベストセラーになっており、新聞の書評
などにも取り上げられていた。
私は以前に「高効率か安定性か」と題して装置を設計したり選ぶ場合に狭い範囲で
高い効率を持っている装置より、少し効率が悪くても広い範囲で安定して運転出来る
装置の方を選ぶだろうと書きました。
其の時の考えとしては装置も敏感すぎるものよりも、広い範囲で鈍感でもよいから
安定している物が良いと思っていたからです。そんなことからこの本に興味を持ち
買って読んでみました。

私の場合は装置について書いたのですが、この本では、生活全般に渉って鈍感な方が
幸せだということを言っているわけで、ほぼ同感出来る内容ではありました。
しかしあまりこの本が売れて言葉が一人歩きし、多くの人が人間が鈍感な方が良いと
思われては困るとも思いました。
それは最近の世相を見ていて、他人に対して迷惑をかけていることに鈍感な人が
あまりにも多すぎることにあります。
鈍感に騒音をまき散らす人、ゴミを溜め込んで近所迷惑なゴミ屋敷、人込みの中で
タバコを吸う人、乗り物の中で携帯電話で大声で話す人、放置自転車など、兎に角書き
出したら切りがない。
この本の趣旨はそんなことを推奨しているのではなく、そんな迷惑行為や人間関係
などに対して過剰に反応していては身がもたないので鈍感になった方がよいという事に
あるのは理解しますが、単に「鈍感力」が一人歩きすると、他人に対して迷惑をかけて
いることに鈍感で平気な人がますますのさばるのを許容していると誤解されるように
思われます。

敏感な人は他人の一寸した言動から、困っているなとか、悩んでいるなとかを察して
手を差し伸べてあげるが、鈍感な人では気が付かず何もしないことになるでしょう。
かすかな徴候でも敏感に感じ取って次の対策を判断してアクションに繋げるという
TQCのやりかたで行動する時に、そのアクションが過剰であるか適切であるかが重要な
点であると考えます。
本来あるべき姿は、総てにおいて自分に対しても他人にたいしても敏感であって、其の
中で他人から受ける迷惑行為なども寛大に受け止め、許すだけの包容力があったうえで
柔軟に対処出来る所にあるのであって、これは日本人が通常用いる鈍感という言葉とは
少し違うように思います。

ただ、不衛生な環境や寒暖など厳しい環境に対しては鈍感な体力、体質を持つことは
望ましいことでしょう。無菌室で育てた生物を外に出すと生きていけないと聞いた
ことがありますが、過保護に育った人間が社会に出たら旨く対応出来なくて困ったことに
なるでしょう。
昔から「柳に風」と言われるように外部からの力をうまく受け流すのが良いので最近の
超高層ビルでも地震にたいして適当に揺れる事で破壊から守られる設計になっている。
乗用車などでも衝突時に適度に壊れて、その壊れる時のエネルギー吸収で人間にかかる
衝撃力を緩和するようになっている。

話は少し変りますが、不便さに対して敏感な人の方が、新しい装置などの発明に繋がる
ように思います。私などはどちらかというと不便さに鈍感で、不便でもそんなもんだと
我慢してしまう方であり発明には繋がらない性格のように思います。そんな時にはやはり
不便さに敏感で、不便さに対して前向きに改良しようとする姿勢の方が望ましい。

よく出来た人とか人格者と云われる人は鈍感ではなくて、すべてを敏感に分かった上で、
多くの人生経験を踏まえてストレスを吸収し消化して他人を許す事が出来る人ではない
かと思いますが、凡人にはなかなか出来ないことです。


ホームページに戻る                       2007.4.26.