バラツキの世界と均一の世界


バラツキを受け入れよう
  自然界はバラツキの世界で工業製品は均一の(要求される)世界だと思う。
  この違いの有る二つの世界を同じように考え、管理しようとしがちである。

  子供が生まれたとき、母子手帳であったかどうか、記憶が定かでないが、
  体重が何か月で何グラムというグラフがあり、それと比較して遅れていると、
  もっとミルクを飲ませたほうが良いのではないかと、気にしたような覚えがある。
  親は平均より重ければ、喜ぶきらいがある。
  子供の個性で発育のはやい子も遅い子もある。あらゆる点で、平均とか他人と比較
  して、短期的に判断するのは止めたい。
  私も子供のころは、背は低いほうだったが、大学に入るころから伸びて、いまでは
  平均よりは高いほうになった。

平均値は良し悪しの基準か?
  平均は標準ではなく、バラツキの多い世界でたまたま平均値がそうなっただけで、
  善悪の評価基準でもない。

  店で物を買うときに品物の品質が均一であることが普通であると考えており、
  バラツキがあると苦情を言う。バラツキは悪だとかんがえている。
  工業製品に慣れた人間は自然物まで均一であることが正しく、善であるかのように、
  錯覚してしまうようだ。

  学校教育でも何年でどこまで理解させるといった平均値教育でなく、個人ベースの
  教育に変わるべきであり、コンピューターなどが発達した現在、そんなことが
  可能になっていると思う。

  走るのが遅いことが悪いことでないように、数学の理解が遅いことは悪ではないとの
  考え方をはっきりさせ、人間の評価をもっと多様化すべきである。
  本当に大事な事は人間性だと思う。

ゆとりとは何だろう
  我々の時代には小学校5年から中学に、中学4年から高等学校に入学できた。
  私は中学5年から進学したが、同級生に4年から進学したものも何人かはいた。
  そんなことも、あいつは良く出来るから当然と、みんな思っていた。

  高等学校では卒業が1年や2年遅れてもあまり気にしない風潮があった。
  いまでも、大学の入試では一浪、二浪することについては、それほど、気にしない
  ようになったようだ。

  ゆとりの教育というが、人間の評価を多様化し、バラツキのある人間の就学年限に
  幅をもたせることこそ必要と思う。


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